
第1回■とにもかくにも空っぽのハノイ・ノイバイ空港に到達した■
俺の乗ったエアフランス機は、空っぽのハノイ・ノイバイ空港に着いた。 ずいぶん色々な国の空港に降り立ってきたが、各航空会社がところせましと色とりどりの 機体を自己主張している、あの見慣れた国際空港とは全く様子が違う。俺の乗ってきたエ アフランス機も、新たに客を詰め込むと、そそくさとバンコックへ帰って行った。まるで 、こんな所に一分でも長くいられるか、とでも言いたげに……。
俺はエアフランス機の中で不愉快だった.周りの座席は白人のじいさん、ばあさんでい っぱい。その誰もにワインが配られているのに、俺のテーブルには水ひとつ出ていない。 確かに俺はトイレに行っていた。でも今はこうして席に戻って、スチュワーデスが「ドリ ンクは何にしますか?」と聞きにくるのを待っている。白人のじいさん、ばあさんの中で、 チンチクリンのアジア人の俺が目立たないわけはないだろう。チンチクリンのアジア人だ から無視されているのか。
"You never give me NOTHING!"
中でも人の良さそうなスチュワードを選んで抗議すると、「あなたはいなかったので…」と いう返事だった。なあんだ、 わかっているじゃないか。さっきまでいなかったけれど、今は席に戻っているということ が。フランスでは、席にいないというのは、ドリンクはいらないという意味だとでもいう のか。5年前のパリ以来のレイシズム(人種差別主義)に出くわすはめになった。俺は水 を頼んだ。苦い水だった。
とにもかくにも俺の乗ったエアフランス172便は、15時55分定刻に、ハノイ・ノイバ イ空港に到着した。空港から市内までは、30キロ、エアポートタクシーは20ドルと聞いて いたから、空港受付のカウンターに、10ドルで市内に行くという看板を見つけた時は、 無条件でそれに飛びついた。実はこれがそもそもの悪運の始まりだったのだ。
つづく
第2回 ■ぼたっくられっぱなしのハノイだった■
10ドルタクシーには、運転手の他になぜか助手が乗っている。タクシー会社の名はノイ バイ・トランスポート・コーポレイティヴ。見渡せば他のタクシーの姿はない。ちょっと 解せない気持ちで乗り込んだ。助手は多少英語がしゃべれるので、どこから来たのか、何 人かとか、愛想よく話しかけてきた。俺にとっては初めてのベトナム、気分よく応対して いた。
俺はホアンキム湖のほとりに宿をさがすつもりでいた。ホテルの窓からナイスヴューを 楽しみたかったのだ。その旨を伝えると、ホアンキム湖から2~3分のところにいいホテ ルがあるという。連れて行かれたそのホテルの名はプリンスホテル。その時はじめてわか ったのだが、助手はプリンスホテルの回し者だったのだ。俺を連れていけばコミッション がもらえるに違いない。ホアンキム湖まで歩いて30分はある。エレベーターもない。案内 されたのは3階の部屋。こんな上の階はいやだと言ったら、2階は予約でいっぱいだとい う。それならホアンキム湖のほとりのホテルに行くと言ったら、25ドルを20ドルにまける という。それでも3階はイヤだと言ったら、予約でいっぱいのはずの2階の部屋に通して くれた。薄暗くてとても20ドルの代物ではない。でも、ベランダに出て気持ちが変わった。下の往来に、人々の行き来や、忙しそうな商店の様子が見渡せたのだ。これはシャッター チャンスだと思った。日は暮れかかっているし、このホテルにおちつくことにした。
部屋には、最初しかお湯の出ないシャワーが付いている。Wベッドには薄汚いカバーが かかっている。後で泊まったホーチミン市のホテルは、20ドルも出せばもっときれいだし、 バスタブも付いているし、お湯も好きなだけ使えるし、朝食まで付いていた。
フロントの女はナーバスで、不機嫌だ。俺が5ドルまけさせたのが気に入らないのかと 思った。その分、彼らのコミッションが減るからだ。彼女にフエまでの汽車賃もぼられた。彼女が手配した切符は60ドル。同じコンパートメントに 乗り合わせた二人連れの若いアルゼンティーナは40ドル、フィリピン人の男は35ドルで買った と言っていた。ノーコミッションだというからたのんだのに、なんということだ。
こんなホテルに俺を連れて来てしまった助手の名はコアン、プリンスホテルの3階に住んでいるというが、さだかではない。
あくる朝、俺がフロントに行くとコアンがロビーにいた。お茶でも飲みに行こうと誘わ れたので、彼のバイクの後ろにまたがった。コーヒーショップでは和気あいあいとベトナ ム式のコーヒー(エスプレッソにコンデンスミルクのたっぷりはいった甘いコーヒー)を 飲み、写真を取りまくった。会計の時になって、わりかんにしようと言ったらきょとんと いう顔をした。彼はあきれた様子で、25,000ドン(1.8$)、俺の分まで払った。俺をプリンスホテ ルまで送ると、仕事でエアポートへ行くという。また俺みたいな犠牲者を物色に行くに違 いない。そして、俺の案内を自分の舎弟みたいなやつに引き継いだ。乗りかかった船、いや、渡りにバイクだ。俺は内心シメタ!と思っていた。ところが、どっこい、そうは問屋がおろさなかった・・・・・・・・・・・・・・・・・。 つづく